飛鳥ってどんな所?

飛鳥地方とは、

  地名としての“あすか”は奈良県高市郡明日香村として限られているが、昔からいわれている“あすか地方”とはもっと広く、大和平野の東南にあたる丘陵地一帯を指し、飛鳥川流域から大和三山(畝傍山・香久山・耳成山)に囲まれた地域をも含む総称であって、橿原市及び桜井市の一部を含んでいる。
  中心地域はやはり明日香村であり、ここには縄文時代からの遺跡と、その上に築かれた飛鳥時代の遺跡とが、重なり合って存在している所である。現在の明日香村は、戸数2,000戸、人口約6,500人の農村で、総面積2,400ヘクタールすべてが歴史的風土保存地域、風致地区などに指定された村で、貴重な遺跡や埋蔵文化財の宝庫といわれている。
  “あすか”という地名のいわれについては、古墳時代からわが国に移住した、おびただしい数の渡来者たちが、さすらいの果てに得た安住の地であるという意味で、「安宿」と名づけたのが転じたといわれ、さらにその枕詞に使われていた「飛鳥」をも“あすか”と読ませることになったという説が立てられている。

 

飛鳥時代とは、

  年代的にいえば、推古天皇が豊浦宮に即位した6世紀の終りから、元明女帝が和銅3年(710年)に奈良平城京に遷都するまでの約100年間を指すことになっている。この間の歴代天皇は一代ごとに都を移しているが、推古帝の豊浦宮と小墾田宮を始めとしていずれの宮も飛鳥地域内にあり、この間に飛鳥を離れたのはわずか3人だけであった。その3人、孝徳天皇の難波宮と天智・弘文天皇の近江大津宮の時代は、両方あわせてもわずか15年に過ぎなかったし、その間も留守官を任命し維持されていて、飛鳥は捨てられていたわけではなかった。それ故この時代の政治文化の中心は飛鳥にあったといっても過言ではなく、総称して“飛鳥時代”と呼ばれている。
  飛鳥時代を一口にいうと、中国・朝鮮からの仏教伝来にともない、古墳時代から脱皮し、新しい文化を発展させた時代であり、政治、経済、社会ともに大変革が試みられ、天皇制律令国家へ飛躍するという意味において、日本国家成立の時代ということができる。

トップへ戻る