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2019/12/25古都飛鳥保存財団情報飛鳥川の「頭首工」と「吉野川分水」  第1期飛鳥応援大使 伴稔也

飛鳥川の「頭首工」と「吉野川分水」

                    第1期飛鳥応援大使 伴 稔也

 

明日香村内の飛鳥川に、恐ろしそうな名前の「頭首工(とうしゅこう)」と呼ばれる設備が2か所あります。

ご紹介しましょう。

 

まず、「飛鳥川」ついて―――多武峰や畑地区を水源とする「飛鳥川」は、他の川と合流しながら、明日香村、

橿原市などを通り、最終的には大和川に合流します。(全長22KM)

上流は棚田など周辺の風景を背景に、風光明媚な光景を醸し出して、「万葉集」にも多く詠まれていて、現在も

明日香の最高の魅力ある場所になっています。

一方、昔は暴れ川でもあり、奥山地の大雨により川が氾濫して、何度も川の流れが変わったとの記録もあります。

また一方、飛鳥川は農業灌漑用の水としての役目も大きく、周辺地域にも恩恵をもたらしました。 「頭首工」も

まさにこの役目の設備です。

 

大字川原にある堰(木の葉堰)は、かって「木の葉の水は、木の元に落ちる」との言い回しが伝わっていました。

つまり、この堰から分流された水が、木の元――堰から下流3KMにある橿原市木之元町の田畑をまでも潤していた、

という意味で言われていました。

 

大和平野全体としては、江戸時代から農業用水は不足しており、それを補うため約一万個所ともいわれる溜池が

作られましたが、渇水時には不足して、各所で水争いが起こっていました。(明日香村にも約百か所の溜池―――

明日香村村史)

その頃から、「大台ケ原など奈良県に降った雨水が、吉野川、紀ノ川に流れてしまい、なぜ大和平野で活用できないか」

という声が上がっていましたが、紀ノ川周辺の農業用水として利用されており、まるで県跨ぎの水争いの様相を

呈していました。

昭和27年、上流にダム建設をすることも含めて、「十津川・紀ノ川土地改良事業」として国が事業を推進することと

なりました。昭和31年、下市町下渕(頭首工)から試験通水が始まり、本格的には昭和49年、隧道(5KM)を

通って、吉野川の水が大和平野に送られました。(通称吉野川分水)。まさに明日香村を含めた大和平野の水の救世主と

なり、現在は、北は大和郡山市付近まで導水路が整備されています。

この事業により、大和平野の農業用水問題は一挙に解決し、平野内の溜池も不要になる場合も多く、廃止された溜池も

多いと聞いています。

1300年前、斉明女帝が飛鳥を「水の都」にするために造った「狂心の渠」のすぐそばを「吉野川分水」が滔々と

流れるのを見ていると、飛鳥と水の関係の深さに感慨深いものがあります。

 

さて、この吉野川分水は、飛鳥川渇水時(通常6月1日~9月末)に明日香村高市橋で、カンフル水として吉野川分水

から飛鳥川へ放水されています。

飛鳥川の増量された水は、300M下流右岸にある前述の木葉堰、正式には「飛鳥第一号頭首工」で分流して、

下流の橿原市縄手町あたりまで潤しています。

さらに、下流500M左岸に「飛鳥第二号頭首工」があり、ここから、豊浦を通り最終的には橿原市四分町にまで

流れます。途中分流して甘橿丘山麓を隧道で和田池に補給もしています。非常に広い地域がこの用水の恩恵を受けて

います。

 

さて、「頭首工」とは、――上述したように、本流の川から農業用水等を一定量分流するために作られた、堰、流量調整、

ごみ除去などできる装置を持つ重要な設備ということになります。ぜひ、一度見てください。

 

なぜ「頭首工」という名前か? 「堰」を頭、「導水部分」を首とみなすと、水の神様「龍」の頭と首で、下流の導水路が

胴体か―――と、勝手に想像しています。

 

 

 

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