
我が国における代表的な方墳である。墳丘の盛土が全く残っておらず、巨大な両袖式の横穴式石室が露出している。天井石の上面が広く平らなため、古くからこの名称がついている。被葬者は明らかではないが、7世紀初頭に権力を握っていた蘇我馬子の墓ではないかと言われている。1933~35年の発掘調査によって方形の墳丘、堀、外堤が存在すること、6世紀代の小古墳を壊して築造されていたことなどが確認されており、築造は7世紀初め頃と推定されている。周辺一帯は、国営公園となっている。
石舞台はこうして作られた?
- 右側の土のうを順にはずし重りとバランスをとってだんだん巨石を浮かす。
- てこ、ころ、ろくろ、滑車などを利用して運ぶ。
- 石をたてながら土をつめこんでまっすぐにする。
- 天井石をおいてから内部の土を取り除き封土でおおい濠を掘り、上部を小石でふいて完成する。
