
石造物のうちの一つで、平坦な表面に液の溜まりと溝様の彫り込みがある。酒を搾ったものであろうとの想像からこの名前がついたが、油を造ったものであろうとか、庭園の施設の一部であろうとか諸説ある。この石はもともと大きかったものが、近世にはいって高取城を築城する際に大きく割って搬出されたのではないかとの言い伝えがある。近年の発掘調査によって、酒船石のある丘陵は、裾部に花崗岩を据え、頂部に天理市の石上付近で産出する砂岩の切石を積み上げた「石垣」で取り囲まれていたことが数次にわたる発掘調査によって明らかとなってきた。これらの事柄は『日本書紀』にある「宮の東の山に石を累ねて垣とする」「石の山丘を作る」、石を「石上山」から運んだとする、などの記述をあらわしていると思われる。
