
天武天皇の遺志を継いだ持統天皇が造営を再開した中国式の本格的都城で規模の壮大さは、それ以前の宮をはるかに凌ぐものであった。「新益京」ともいう。持統天皇から文武天皇を経て、元明天皇が平城遷都するまでの16年間都であった。新しい都造営のため全国各地から役民が集められ、水運・陸運を使って近江などから木材が調達されたことが知られている。宮殿建築に瓦を葺くようになったのは藤原宮が初めてで、主要建物は堅固な基壇を有する礎石建ちの建物となった。京内には多くの貴族、役人が邸宅や居をかまえ、官営の市などが設けられていた。大和三山が描く三角形の中心の地点にあることから、中央集権が確立された結果を物語るものと考えられる。
