

ほぼ東西方向に中門・塔・金堂・講堂が並ぶいわゆる四天王寺式の伽藍配置となることが発掘調査によって明らかにされている。仏頭山北麓に位置し、すぐ北側には川原寺が営まれている。伽藍創建時の様子は不明であるが、金堂の造営が7世紀の前半頃、講堂の造営は8世紀、塔はその間の時期に造営されたと考えられている。多量の塼仏が出土したことから、川原寺同様仏堂を三尊塼仏で飾っていたと推測されている。『法隆寺伽藍縁起併流記資財帳』や『上宮聖徳法王帝説』などの文献は、橘寺と聖徳太子を結びつけるが、創建の事情は語られておらず、明らかではない。一般的に太子がお生まれになった御寺とされている。境内には二面石と呼ばれる石造物があるが、その顔はそれぞれ人の心の善悪を象徴しているといわれている。
