古墳 関係の散策スポット

point.gifマルコ山古墳(マルコヤマコフン)01.jpg

 対角長約24mの二段築成の六角形墳で、高さ約5mである。墳丘の北側には石敷が巡ることや排水施設の存在が発掘調査で確認された。埋葬施設は、凝灰岩の切石を組み合わせて築いた石槨で、床や天井部分、奥壁、側壁など計17石で築かれ、天井石の内側は屋根形に掘り込まれている。石室内は全面に漆喰が施されていた。棺は、杉板を銅釘で組み合わせた木棺が想定されており、棺の表面は、黒漆や朱漆によって仕上げられた麻布が張り合わせてある。出土した遺物には、鉄釘や銅釘、金銅六花形飾金具、金銅製大刀金具、尾錠などがある。これら、墳丘、石槨、木棺、出土遺物などから、当古墳は高松塚古墳、キトラ古墳同様、7世紀末〜8世紀初頭に築かれたと考えられている。

point.gifキトラ古墳(キトラ コフン)03.jpg

 直径14m弱の円墳で、高さ約3.3mの二段築成となる。発掘調査により、排水施設の存在や版築とよばれる古代の土木工法によって墳丘が築かれていたことが明らかにされた。埋葬施設は凝灰岩の切石を使用した石槨で、天井石の内側は、マルコ山古墳と同様に屋根形に掘り込まれている。石槨の壁面には朱雀を含む四神図や、十二支を表したと考えられる獣面人身像、日像・月像などを配した本格的な天文図が描かれていたことが、明らかにされた。これらの画題は、中国や朝鮮半島の壁画古墳にもみられることから、大陸における文化の影響を多分に受けていることを感じさせる。墳丘や、石槨の構造、壁画などから高松塚古墳、マルコ山古墳同様、7世紀末~8世紀初頭に築かれたと想定されている。

point.gif高松塚古墳(タカマツヅカコフン)

 

西壁女子群像(現状模写).JPGgaikan.jpg

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 直径23mの二段築成の円墳である。1972年の発掘調査によって彩色壁画を有する横口式石槨が存在していたことが明らかとなった。鎌倉時代に盗掘されており、副葬品は破損していたが、漆塗木棺が使用されていることがわかり、海獣葡萄鏡、金銅製飾棺金具、銀装大刀金具、琥珀丸玉、ガラス玉、丸玉などが残っていた。被葬者については明らかではないが、石槨の構造、副葬品などからキトラ古墳やマルコ山古墳などと同様に、7世紀末~8世紀初頭にかけて築造されたと考えられている。蓋・円翳・蠅払・鉾・如意などの威儀具を手に執った人物画像、北極五星・四輔四星を中心に二十八宿を模式的に配した星宿図、日月像、玄武・青龍・白虎など当時の中国や朝鮮半島にみられる画題が使用されていることから、当時の東アジアの葬制を考えるうえで重要である。

point.gif天武・持統天皇陵(テンム・ジトウテンノウリョウ) 05.jpg

 天武天皇は、兄である天智天皇の遺志をつぎ、中央集権国家の形成を推し進めた。壬申の乱に勝利し皇位に就いたが、686年(朱鳥1)9月、病により崩御した。持統天皇は天武天皇の皇后であり天智天皇の娘である。天武天皇とともに中央集権国家の確立に尽力した。天武帝亡き後即位し藤原京の造営を行っている。檜隈大内陵と呼ばれたこの天武・持統陵は、藤原宮の南方中軸線上に営まれ、八角形の五段築成と考えられている。天武帝のために築かれたが、後に702年に亡くなった持統天皇が火葬され合葬されることとなる。1235(文暦2)年に盗掘された際の実検記である『阿不幾及山陵記』に記された記事と、『日本書紀』『続日本紀』などの記述が一致したため、天武・持統合葬陵であることが確定した。

point.gif欽明天皇陵(キンメイテンノウリョウ)06.jpg

 日本に仏教が伝来した頃在位していた欽明天皇の墓とされる。別名平田梅山古墳。前方部を西に向け濠をめぐらす前方後円墳であり、現在もその形が残っている。また、発掘調査によって葺石が良好に残っていることが明らかとなった。造出しを有する前方後円墳としては最も時代の下る可能性が考えられている。背後の東西に伸びる丘陵南斜面に、丘陵をカットして平坦面を造成し、その後墳丘の盛土を盛って構築される。出土した須恵器は、本墳にともなうものと考えられており、欽明天皇陵の時期を検討する材料の一つとなっている。

point.gif吉備姫王墓(キビヒメノミコノハカ)07-01.jpg07-02.jpg

 欽明天皇陵の西側にある小円墳が比定されてはいるが、確定していない。吉備姫王は、皇極・孝徳天皇の母にあたる。この墓の西側の垣の中に猿石と呼ばれる花崗岩の石像が四体あることでも有名である。この猿石は、18世紀初め頃に付近の水田から掘り出されたとされているが、この場所を欽明天皇陵のすぐ南側に存在し、古代の苑池の遺構としての性格も考えられている平田キタガワ遺跡にあてる説もあるが定かではない。製作年代や目的・用途は不明である。

point.gif石舞台古墳(イシブタイコフン)12-01.jpg

 我が国における代表的な方墳である。墳丘の盛土が全く残っておらず、巨大な両袖式の横穴式石室が露出している。天井石の上面が広く平らなため、古くからこの名称がついている。被葬者は明らかではないが、7世紀初頭に権力を握っていた蘇我馬子の墓ではないかと言われている。1933~35年の発掘調査によって方形の墳丘、堀、外堤が存在すること、6世紀代の小古墳を壊して築造されていたことなどが確認されており、築造は7世紀初め頃と推定されている。周辺一帯は、国営公園となっている。

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