天武・持統天皇陵(テンム・ジトウテンノウリョウ) 日本遺産構成文化財世界遺産構成資産候補古墳
東西38m、南北45mの八角形墳で五段築成と考えられている。天武天皇のために築かれたが、後に702年に亡くなった持統天皇が火葬され合葬されている。1235(文暦2)年に盗掘された際の実検記である『阿不幾乃山陵記』に記された記事と、『日本書紀』『続日本紀』などの記述が一致したため、天武・持統合葬陵である可能性が高い。
天武天皇は、兄である天智天皇の遺志をつぎ、中央集権国家の形成を推し進めた。壬申の乱に勝利し皇位に就いたが、686年(朱鳥1)9月、病により崩御した。持統天皇は天武天皇の皇后であり天智天皇の娘である。天武天皇とともに中央集権国家の確立に尽力した。天武帝亡き後即位し藤原京の造営を行っている。
基本データ
所在地 | 高市郡明日香村野口 |
形状 | 八角形墳 |
規模 | 東西約58m、南北径45m、高さ9m、五段築成と考えられている |
築造年代 | 7世紀後半 |
アクセス | 近鉄吉野線「飛鳥駅」から徒歩20分 |
駐車場 | あり(無料 約5台分) |