天武・持統天皇陵(テンム・ジトウテンノウリョウ) 古墳
天武天皇は、兄である天智天皇の遺志をつぎ、中央集権国家の形成を推し進めた。壬申の乱に勝利し皇位に就いたが、686年(朱鳥1)9月、病により崩御した。持統天皇は天武天皇の皇后であり天智天皇の娘である。天武天皇とともに中央集権国家の確立に尽力した。天武帝亡き後即位し藤原京の造営を行っている。檜隈大内陵と呼ばれたこの天武・持統陵は、藤原宮の南方中軸線上に営まれ、八角形の五段築成と考えられている。天武帝のために築かれたが、後に702年に亡くなった持統天皇が火葬され合葬されることとなる。1235(文暦2)年に盗掘された際の実検記である『阿不幾及山陵記』に記された記事と、『日本書紀』『続日本紀』などの記述が一致したため、天武・持統合葬陵であることが確定した。
基本データ
所在地 | 高市郡明日香村野口 |
お問い合わせ | 飛鳥観光協会 0744-54-3240 |